睡眠は大切に
新型コロナウィルス感染症は現在も蔓延が続いており、皆さんの生活にも大きな影響が出ていると思います。まずは、外出時はマスクが欠かせ無くなったし、以前より手を洗うことが多くなったと思います。私も以前は、診察において口や鼻などの粘膜を触る可能性があるとき以外は手袋をしていませんでしたが、最近は必ず手袋を、時によっては二重にするようになりました。アルコール消毒も以前より頻回にするようになっています。あと、換気の重要性も以前とは比較にならないほど重視されるようになりましたね。ソーシャル・ディスタンス(正しくはソーシャル・ディスタンシング)などという言葉もつぶやかれるようになりました。
これらのマスク、手洗いなどの手指衛生、換気、ソーシャル・ディスタンシングなどは、ウィルスへの接触の可能性を減らすための、あるいはたとえ手指についても、粘膜に接しないようにするための対策で、新しい生活様式などといわれているのはご存じのことと思います。コロナウィルスの第一波のころ、専門家会議からの提言に使用されました。しかし、たとえウィルスに接触しても、なかなか感染しないようにする方法、あるいは感染しても重症化しない方法については、新しい生活様式に於いては言及されておらず、私はかねがね残念に思っていました。
それは、何ですかって?よく眠ることなんです。
あっ!読んでいるあなた、いまがっかりしたでしょ。それとも、失笑しました?大体の人の反応は、「なーんだ、そんなことか」と言うところだろうと思います。しかし、これには根拠があるのです。
まずは動物実験の話。睡眠研究は1950年代から盛んになってきましたが、睡眠の意義というのは、当時全くわかっていなかったので、最初は実験動物を眠らせないようにして何が起こるか調べることから始まりました。その結果として、眠りを奪われた動物はリンパ節がはれて、体温がさがり、体重が減少して、血液中には大量の細菌が見られることがわかりました。細菌は鼻や口の中、消化管の中にはたくさんいますが、血液中に見られることは明らかに異常で、免疫が低下していることが疑われます。睡眠させない期間が4,5日と比較的短くても、動物の状態が一見すると正常であるにもかかわらず、リンパ節内に生きた細菌が観察されました。これは、睡眠不足が免疫を低下させることを示しています。
こうした反応は動物だけでしょうか。欧米では風邪を引きやすくする因子が何かということが盛んに調べられています。例えば、ボランティアを募り、二群に分けて、一方は暖かい環境で、他方は寒い環境で過ごしてもらい、両方の群に風邪のウィルスを暴露させて(ボランティアは風邪のウィルスに暴露させるということを説明された上で同意し、実験に参加しています。念のため)、どちらが風邪に感染する人の割合が多かったか、というようなことを調べます。そのようにして検討した因子で、寒い環境に於かれること、肉体的に疲労していることなどは、必ずしも風邪の感染率を上げませんでした。それに対して、睡眠時間が7時間を割る人は、8時間以上の人に比べて、風邪を引く確率が3倍以上高かったという結果が出たのです。つまりは、十分な睡眠を取ることは、風邪の予防に確実に役立つという事が判ったのです。
これらの研究は、ライノウィルスという風邪を引き起こすウィルスを用いており、そのままコロナウィルスでも成り立つかははっきりとはわからないのですが、新型コロナウィルス感染症においても、睡眠が感染防止に役立つというデータが出てきています。ジョーンズ・ホプキンス大学のグループはフランス、ドイツ、イタリア、スペイン、イギリス、アメリカの医療従事者のなかから、新型コロナウィルスの感染者568人と、対照群2316人を調査した結果、睡眠時間が一時間延びると、新型コロナウィルスの発症率が12%減少するという報告をしています。
このように、十分な睡眠を取ることが新型コロナウィルスを含む感染症にかかる危険性を減らすことは、ほぼ間違いないと考えられています。しかし、日本ではなぜかそのことがクローズアップされることが少ないのです。
一方、日本人の睡眠はあまり良い状況とは言えません。2018年OECDがおこなった睡眠に関する調査では、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、OECD加盟国の中でワースト1でした。しかも、イギリス、フランス、スペイン、アメリカなどと比べ、一時間以上も睡眠時間が短いという結果が出たのです。
私のクリニックに受診する患者さんを見ても、通勤時間が片道2時間近くかかる、親の介護や、赤ちゃんのお世話で夜十分眠れない、交代勤務により寝付けないなど、睡眠環境があまり良くない方がみられ、めまい、耳鳴、睡眠時無呼吸症候群などに悩まされています。睡眠時無呼吸症候群でCPAPという治療をしている人では、CPAPを何時頃につけて何時頃に外すかというデータが見ることが出来て、その人の大体の睡眠状況がわかるのですが、3,4時間程度の短い睡眠で過ごしていたり、入眠時間がバラバラで不規則であったりと、睡眠状態が良くない人がしばしば見受けられます。
それでは何故劣悪な睡眠状況で過ごす人が多いのでしょうか。
それは、日本人の睡眠に対する考え方から来るのではないかと思います。皆さんは、忙しいときに睡眠時間を削るのはやむを得ないと考えていませんか?私の周りには、特に学生時代など、試験前に徹夜で勉強したという人が多くいました。もちろん自慢しているつまりは必ずしも無かったかと思うのですが、睡眠を削るのが悪いことだと認識していれば、あんなにおおっぴらには口に出来なかったと思うんですよね。先ほど通勤時間が長くて睡眠が少ない人がいるといいましたが、それを口にしている本人はそのことに対してはあまり問題意識を持っていないようです。会社の勤務で睡眠がとれない人にも、会社がそれを要求するのは当然と受け止めている傾向が見られます。会社は社員が良いパフォーマンスを発揮できるように、社員の健康に関心を払うべきだと私は思いますが、しっかり睡眠時間を取っているかどうかについては、あまり関心が無いんだなと思われることがしばしばです。そのことが、もしかしたら日本人の生産性の低さに結びついていたりするのでは、などと考えてしまいます。
新型コロナウィルスが流行してから、しばしばリモートワークということが話題になっています。私はこのリモートワークに期待しています。リモートワークが普及すれば、長い通勤時間で睡眠が削られている人が、より多くの睡眠を取ることが出来るようになるはずです。睡眠不足は感染症を起こしやすくするだけではなく、肥満、糖尿病、高血圧などの危険因子でもあるので、そういった病気が減ることも期待されます。既に、リモートの恩恵を受けて、体調が良くなった事を実感している人もいるはずです。
新型コロナウィルスの流行は我々の生活に甚大な影響を与えましたが、それをバネに新型コロナにかかりにくく、健康に良い生活習慣を身につけるべきだと思います。日本人の睡眠に関する状況は、実際あまり良いとは言えず、睡眠が健康に与える影響に関する意識から改善が必要だと考えています。ただ一時間ほど長く眠ることにより、コロナにかかる確率が12%下がるのです。新しい生活様式として、日本全体で睡眠の重要性について考え、改善していけると良いなと思います。
斉藤耳鼻咽喉科医院
齊藤秀行